2016年度宮水blog
平成28年度 卒業式
3月1日(水)
第68回 本科卒業証書授与式・第58回 専攻科修了証書授与式が行われ、海洋総合科116
名、専攻科5名 計121名の生徒たちが本校を卒業・修了いたしました。
学校長式辞、在校生送辞では、学校を卒業し社会へと巣立つ卒業生への応援の言葉が贈ら
れ、卒業生代表の前生徒会会長からの答辞では、「3年間の学校生活の思い出・社会に出る
という大きな覚悟を持っての卒業・誇りを持って校訓を唱和してほしい」との、学校や在校
生、家族への感謝と応援の言葉と決意が語られました。
お忙しい中ご来場頂きました皆様にお礼を申し上げますとともに、改めて、ご卒業おめでとうございます。
〔下記から、卒業生答辞の全文がご覧頂けます〕
答辞
万石浦の潮風とともに春の訪れが日に日に色濃く感じられる今日、私たち本科生116名,専攻科生5名は卒業・修了の日を迎えることができました。本日は私たちのために、このような盛大な式を挙行してくださいまして、誠にありがとうございます。また、ご多忙の中、ご出席くださいましたご来賓の皆様、校長先生はじめ諸先生方、関係者の皆さま、またご多忙の中をご出席下さいました御来賓の皆様、校長先生はじめ諸先生方、並びに関係者の皆様に、卒業生一同、心より感謝申し上げます。
振り返ってみると、私たちの多くは6年前に東日本大震災を経験しました。あの大きな混乱の中、人が逃げ惑ったり津波にのまれたりした様子を目の当たりにしています。その中で、小学校六年生だった私たちは、卒業を間近に控えていました。しかし、もちろん私たちの卒業式どころではありませんでした。学校の体育館は避難所になり,多くの被災者であふれかえりました。卒業式が出来ないまま、中学校に入学した生徒もいます。
そのような私たちが、この宮城県水産高等学校の120周年という節目の年の卒業生となれたことを、とても誇りに思います。長い歴史の大きな節目にいることができたこと、そして、その節目の年度に学科改編の一期生として晴れの卒業式を迎えることができること、本当に嬉しく思います。
始めて宮水生として足を踏み入れたのは入学式の時です。
私は、緊張でがちがちに固まりながら宮水の校門をくぐりました。そのときの私は不安な面持ちをしていたと思います。
印象的だったのは対面式です。対面式では、先輩がたくさん集まっている中に入り、整列しました。あのときのことは今でも鮮明に覚えています。そこに待ち構えている先輩方に怖い印象を受け、「ここで本当にやっていけるのか」と不安になりました。
先輩方の前で覚えてきた校訓をクラス全員で唱和しました。何度も大きな声で唱和して、やっと先輩方から合格の拍手をもらえたときは、「自分もこの宮水の一員として認められたんだ」という達成感とともに晴れ晴れとした気持ちになりました。
二年生になり、私は新しくできた調理類型に進み、専門科目の勉強を始めました。
最初の実習は、細巻きを巻くことでした。どれも初めての体験で、細巻きのネタによって、巻いた時の形や切った時の数まで変わることに感動を覚えました。実際に行ってみると、どうしてもネタが中央には来ませんでした。そして、同じ高さに切ってみても、均一にはならず、それを平然とやっていた先生に尊敬と強い憧れの気持ちを抱きました。そんな私もご指導いただいたおかげで、今では綺麗に巻くことができるようになりました。
宮水ではたくさんの行事がありました。航海技術類型や機関工学類型の宮城丸出港式。高総体、三大体育行事、錨章祭、寒稽古・・・。どれも思い出に残っています。私たちが三年生の時から全校生徒で出港式を行うことが再開され、2ヶ月間海に旅立つ同級生を見送ることができ、とてもよかったです。体育行事では、私のクラスは他クラスに比べて女子が多く、男子生徒が多いクラスと戦うと、なかなか結果が出せませんでした。しかし、最後の体育大会では、綱引きにおいてみんなで頑張ったことで見事第3位になりました。体育行事で賞を獲ったのは最初で最後でした。そのときは本当に嬉しかったです。クラス全員で気持ちが一つになった気がしました。
3年間の中で、最も印象深いのは部活動です。
私は剣道部に所属していました。私の同級生は、始め5・6人いましたが、練習を続けるうちに一人また一人と転部していき、先輩が引退し、私たちが中心になるころには二人にまで減っていました。どうしてここまで少なくなったのか私には分からず、どんどんストレスが溜まりました。一時期は竹刀さえ持てなくなりました。
そんな私が三年間部活を続けられたのは、先生や後輩などの仲間のおかげでした。後輩が毎日教室まで迎えに来てくれ、稽古場に連れて行ってくれました。仲間の「早く来いよ」という励ましがなかったら挫けてしまったかもしれません。
今年は120周年という節目の年であり、校則が変わるなどの変化の年でした。その中でも特に変わったのは「錨章祭」ではないでしょうか。昨年まで体育館で行っていたものを校舎で行いました。意見を反映させられなかった昨年度の反省を生かし、臨時の生徒総会で議題を取り上げ、成立させることができました。さらに、女子生徒の増加に伴い,ミス・コンテストだけでなくミスター・コンテストを導入しました。
しかし、錨章祭を成し遂げるまでには、多くの苦労がありました。
実行委員会との連携がうまくとれず、情報の共有がなかなかできなかったり、校舎内を使うのは初めての試みということもあり、どうやるか、どの順番でやるか、一般の方への配慮を考えるなど、多くの問題に右往左往してしまい、前日まで気が抜けない日々を過ごしました。しかし、終わってみれば、昨年以上に充実した錨章祭に変わりました。オリジナルパフォーマンスでは全クラスの出し物を見て楽しむことができたし、アームレスリングでは全員が一体となって出場選手を応援する空間を作ることができたと思います。これは、大きな成果だと思っています。
このような貴重な経験ができたのも先生方のおかげです。
各行事では私たちと一緒に参加して盛り上げてくれたり、クラスの生徒に何を言われても何度も注意や指導をしてくださり、まとまらなかった私たち生徒の、あえて敵となることでまとめてくれた担任の先生、私たちと同じ目線で話を聞いてくれ、実習で私たちの至らないところを注意して、社会人として大切なことを教えてくれた類型の先生、部活動では部員に一つの目標を考えさせ部員がまとまる機会をつくってくださった顧問の先生。それ以外でも私たちの知らないところで私たちのために多くの時間を割いてくださった先生方。私たちがくじけそうになった時、逃げ出しそうになった時に、優しく時には厳しく教え導いてくださいました。そんな先生方には大きな感謝の気持ちと尊敬の気持ちでいっぱいです。
そして、何より私たちが生まれてから今まで育ててくださったお母さん、お父さん、これまで支えてくださって本当にありがとうございました。いつも一番近くで見守り、励ましてくれました。私たちは今日、「立派な人として社会にでる」という大きな覚悟をもって卒業します。でも、これから社会という荒波にもまれ、幾度の苦難に合い、きっと疲れて戻ってくることがあるでしょう。そんな時は、今までのように接し、叱り、そして今日のようにまた背中を押してください。それが、「また頑張ろう」という私たちの力となるでしょう。
宮水の「校訓」。私は全校生徒の前で何度も大きな声でかけ声をかけました。毎回、全力でした。この校訓は私の心に深く刻まれています。在校生の皆さん、宮水の校訓は社会に出てからも通じることが書かれています。私は生徒全員で誇りを持って唱和してほしいと思っています。
最後になりましたが、私たちの誇る宮城県水産高等学校の益々のご発展と、校長先生、お世話になった先生方、そして在校生の皆さまのご健勝とご多幸を祈念し、卒業生代表の答辞とさせていただきます。
平成29年3月1日
卒業生代表