先生のコラム

2015年度コラム

理科実験のススメ

宮城県水産高校 教諭 若松英治


 私は「情報無線研究部」の顧問をしています。情報無線研究と言えば、パソコンで携帯電話のアプリを開発しているんじゃないか?とか、無線通信をこよなく愛するマニアックな集団なんじゃないか?と思われがちですが、幅広いテーマのもとに活動しています。「あまり部活名に固執せず、様々な実験を通じ、その経験を基に“得た知識や技術を何かに応用できないか”を追求する」と言うコンセプトです。

理科実験のススメじゃあ何をしているのか?と言えば、“理科実験”をしています。そして、最終的には“ものづくり”をして“特許取得”までいけたら・・・と考えています。ここで皆さんにイメージしていただきたいのは、理科実験とものづくりが関連するかどうかです。両者は一見、関連性がなさそうに思われますが、実際はどうでしょうか?

 例えば、「氷水に塩をまぶすと水温を-20℃に下げられる」という物理現象があります。

水が凍り始める温度(凝固点)は0℃ですが、水は食塩水になっているので凝固点は低下します。この-20℃でも凍らない状況を“凝固点降下”と言い、この現象は、“融雪剤”に応用されています。雪に融雪剤(塩化ナトリウムや塩化カルシウム等)をまぶすと、空気中から熱を奪い、塩の結晶に接している雪は周囲より早く溶けます。雪が溶けると水になり、その水が凍ると路面が危険な状態になりますが、すでに水は塩が溶けて塩水になっているので、“凝固点が下がった状態”となり路面は凍結しません。

理科実験のススメ

このように、私たちの生活を便利で快適なものにしてくれる様々な製品は、過去の偉人たちによって発見された様々な物理現象から発展した産物と言えます。

 我が部でも、凝固点降下について実験してみました。ボウルの中に水と氷を入れ、塩をまぶすことで水温は-15℃程度まで下がっても水は凍りませんでした。一年生はこれを応用して“アイスをつくれないか”と考えました。早速、バニラアイスの材料を買い込んでアイスの原液づくりから挑戦しました。空缶にアイスの原液を入れ、しばらく放置してみましたが、なかなか固まりませんでした。なぜアイスの原液が固まらないか失敗の原因を考えてみました。原液の量を減らす、氷と塩の割

合を変える(理科実験のススメ塩の量を増やす)ことが出てきましたが、問題なのは「どうやって早く固めるか」です。そこで「缶を放置して冷やし続けるだけでは、効率が悪いのではではないか?」と考え、2リットルのペットボトル容器の底に氷、塩、水を敷き、その上に缶を置き、さらに氷、塩、水を投入して缶を全面的に冷やしつつ、さらにフリフリする、という作戦に変更しました。

  このフリフリ作戦によって5分で見事に原液が固まり、アイスクリームができました。しかし、同時にこれでいいのか?という疑問が生じました。なぜならアイスをつくる度に5分間もフリフリするのは、結構大変だからです。何か工夫すればもっと簡単にできるんじゃないか?と考えてみました。フリフリ作戦から一旦離れることにして、新たに作戦をたてました。

理科実験のススメ

 容器を缶から金属製ボウルに変えてみました。すると比較的すぐに外側から固まり、さらにかき混ぜてみたところ、ボウルに面したところからどんどん固まってきました。3分程度でアイスになりました。さらに「回転」させてみると2分でアイスになりました

 このとき、部屋を見渡すと“回転式モップ洗浄機”が目に入りました。「これを使えば楽に回転させられるんじゃないか?」と考えました。早速ボウルを置いてみるとミラクルフィット!

踏むだけで、手回しでは考えられないほどの高速回転が可能になりました。高速回転の結果、「簡単」かつ「大量」のアイスをつくることができました。さらに、この回転式モップ洗浄機を水の散乱を防ぎ、ボウルを固定するなど、よりアイスをつくり易いようにカスタマイズしてみました。こうして、手づくりアイスクリーム製造機「アイス・ツクレール」は完成しました!

 理科実験のススメ

 この経験は、「物理現象を実験で実証しよう」→「実証できた物理現象を応用してアイスをつくろう」→「もっと効率良くアイスをつくれないか」→「考案した効率の良いシステムを応用して製品化しよう」という流れを生みました。

 この活動の成果を、昨年度の「全国産業教育フェア」で発表したところ、理科実験から“ものづくり”へと発展したところや、好奇心をもって活動しているところなどが評価され、「優秀創造力賞」をいただきました!

理科実験のススメ理科実験のススメ

 理科実験とは、「物理現象」を知ることにつながります。実験をすればその知識が身につきますし、その経験と知識がいつか「何かものづくりをしようとしたとき、研究していく中で壁に当たったとき」にそれを解決しうる突破口になりえるかもしれません。行き詰まっているときは、色々な知識が解決の糸口になることがよくあります。ですから、知識があるのとないのとでは、大きな差になります。その物理現象の作用を知識として持つことは、これまでになかった新しい何かを創りだし、特許につながる「発明」ができる可能性を持つことになると言っても過言ではありません。

  本校、情報無線研究部では、“理科実験”や“国家資格の講習会”、“発明を意識したものづくり”が行われています。本校情報無線研究部で色々な活動を楽しみながら、「自分自身の中に潜んでいる力」を追求してみませんか?

「 成 果 は 地 域 の た め に 」~ホヤコロッケ開発秘話ヒストリア~

宮城県水産高校 油谷弘毅

「 成 果 は 地 域 の た め に 」~ホヤコロッケ開発秘話ヒストリア~

 宮城県をはじめ三陸沿岸では古くからホヤを食べる食文化がありますが、我が国全で見ると、ホヤはほとんど食べられていません。世界でも、韓国、中国、フランス、チリなどごく限られた国でしか食べられていません。このように、ホヤは水産物としてはマイナーです。しかし、東日本大震災前までは国内(主に三陸と北海道)で実に年間約1万トンが生産されており、そのうちの8割を宮城県が生産していました。このうち国内で消費されるホヤは、たったの3割でした。残りの7割のほとんどが韓国に輸出されていました。

 震災により、宮城をはじめ三陸の漁業は壊滅的被害を受けましたが、徐々に復旧し、震災後に養殖が開始されたホヤが2014年、いよいよ出荷となりました。生産量も回復し、2015年には震災以前に戻ると予想されています。

 

 しかし、原発事故の風評被害により、韓国が事故の影響を心配し、いまだに宮城など一部の県の水産物の輸入を見合わせています。つまり、震災以前の生産量に戻ったとしても、これまで7割を輸出していたことを考えると、その販路のほとんどを失った状況にあると言えます。この状況には漁業者や関係者もほとほと困っています。

「 成 果 は 地 域 の た め に 」~ホヤコロッケ開発秘話ヒストリア~

 この問題を解決するべく、我が宮城県水産高校「調理研究部」が立ち上がりました。輸出がだめなら国内消費を拡大するしかない、「これまで食べられていない地域の方に、ホヤを知ってもらおう!」と開発プロジェクトが始まりました。ホヤは独特の風味が強く、好き嫌いがはっきりしており、刺身、蒸し、塩から・・・と手軽な食材とは言えませんし、若者が気軽に手を伸ばす感じでもありません。そこで、若い人をターゲットに、手軽に食べられるような製品の開発を目指しました。

「 成 果 は 地 域 の た め に 」~ホヤコロッケ開発秘話ヒストリア~

 揚げ物好きの若者ならクリームコロッケがウケると予想し、独特の風味は乳製品で和らげ、小麦粉よりも油の吸収が少ない米粉を利用してヘルシーに仕上げる、米粉パンも使う・・・など、アイデア満載の水産物と農産物のコラボで「ホヤクリームコロッケバーガー」が出来上がりました。

ホワイトソースが見事にホヤの風味を和らげ、ホヤ特有のさわやかな甘みが広がるコロッケバーガー。地元企業とのコラボ化も決定し、昨年度の全国産業教育フェアでは石巻の専門高校生が連携して販売しました。200個がわずか30分で完売するほど盛況でした。

 「地域の課題を専門学習の力で解決する」大きな一歩が踏み出しました。この成果を3月に東京海洋大学で開催された日本水産学会春季大会 高校生による研究発表の部で発表しました。他校の研究は、最先端のものが多く、そのレベルの高さに驚きましたが、本校調理研究部ではモットーである「活動は地域のため」ということを見失わず、自分の言葉でしっかり堂々と、丁寧に説明しました。

 この研究は今学会で最高賞である「金賞」を受賞することができました。この研究は、地域のために生徒が自ら試行錯誤し、アイデアを形にしたものであり、その姿勢を評価していただいたのだと考えています。部顧問としても、水産高校の教員としても素直に嬉しい受賞でした。これからも調理研究部は「地域の課題」を「水産高校生の目線で解決」し、それを「地域に還元」するために活動を続けます!

「オリンピック」と「冷凍食品」

~「冷凍」について、ちょっとだけ考えてみようⅠ~

宮城県水産高等学校 教諭 若松英治


 1964年10月10日に、東京オリンピックが開催され、それから56年後の2020年に2度目の東京オリンピックが開催されようとしています。「オリンピックと冷凍食品」。一見何の関係もないような両者を結びつけるエピソードをご存じでしょうか?

「オリンピック」と「冷凍食品」

 

 オリンピックの主役はもちもん選手たちに他なりませんが、開催の裏では、実に多くの課題があり、多くの人々の苦労と努力によって支えられています。その課題の一例に、「食材問題」が挙げられます。1964年のオリンピックは世界各地から7000人の選手が集まることになっていましたが、その選手たちに提供する食材調達は、頭を抱える大問題でした。なぜなら、大会期間中に選手村で必要な食材は肉120トン、野菜356トン、魚46トンと膨大な量で、それは東京都民が1日に消費する量の5%に相当しました。もしも、期間中に一気に購入するとなれば食材価格の高騰を引き起こし、庶民の生活に大きな打撃を与えることになります。

 

 開催まであと1年半となった1963年4月。日本を代表するホテルの料理長が集められ、食材問題に対する解決策を模索し始めました。料理長のうちの1人で帝国ホテル料理長だった村上信夫が思い悩むところに、航空機の機内食で使われる冷凍食品技術を研究していた部下、白鳥浩三から「冷凍食材を使いませんか?」と提案されました。なるほど「食材を冷凍して蓄えておけば価格高騰を避けられる」と考えた村上は、早速“日本冷蔵株式会社(現・株式会社ニチレイ)”の協力を取り付け、冷凍食材を使ったメニュー開発に着手し、様々な食材を冷凍して長期保存することが可能になりました。

 しかし、肝心の“味”は思うようになりませんでした。なぜなら、自然解凍させた冷凍食材を使った食事は、食感が失われたり、水っぽくなったりで、とても満足できる水準にはならなかったからです。追い詰められた村上は、ふと、かつて自身が体験したあることを思い出しました。

 太平洋戦争後、ソ連軍に捕まり、零下数十度になる極寒地シベリアで、捕虜としての生活を送っていました。与えられるジャガイモなどの食料は堅く凍り、自然に解けるまで待っても食べられる代物ではありませんでした。そこで村上が試みたのが熱湯による解凍でした。実践してみるとジャガイモの風味は見事によみがえり、捕虜たちを飢えから救ったのです。そこから、「熱湯で解凍すれば、冷凍食材でも美味しく食べられるのではないか?」と、シベリアでの体験を思い出した村上は“熱湯で解凍する”ことに挑戦しました。選手村で提供されるメニューは2000以上。生のままで冷凍するもの、茹でてから冷凍するもの、解凍する際のタイミングなどを、メニューに合わせてひとつひとつ組み立てるといった膨大な作業の末に、冷凍食材を使っても満足できる料理を作ることに成功しました。

  1963年8月23日、冷凍食材の命運を決める「試食会」が開催されました。会場には冷凍食材と新鮮な食材を使った同じ料理を並べて出し、その事実は集まった関係者には伏せられていました。もし、2つの皿の違いに気づかれてしまえば、冷凍食材を使うことは許されません。そんな中、当時のオリンピック担当大臣佐藤栄作が冷凍食材を使ったローストビーフを口に運ぶと、「これは実にうまい!」と高く評価しました。懸命に取り組んできた冷凍食材の使用が認められた瞬間でした。

 翌年、東京オリンピックが開幕、選手村には日本各地から300人を超える料理人が集まって、選手たちに料理を作りました。冷凍食材を使った料理の評判は高く、「あなたの料理のおかげでメダルが取れた」と感謝された料理人もいたそうです。冷凍食品は東京オリンピック以降、評価が高まり、冷解凍の方法と調理法の確立はもちろん、後の日本の冷凍食品の発展に大きな影響を与え、今日の食卓に欠かせない存在となりました。

 冷凍技術の発達は遠洋漁業を現実のものとしました。今日、私たちが魚を手軽に寿司や刺身として「生」で食べられるのは「冷凍」のおかげです。そしてこの技術は農水工商全ての産業に影響を与えています。「冷凍」について、ちょっとだけ見方を変えて生活をしてみませんか?

 

つづく

 参考:東洋経済ONLINE「追い詰められた男の発想が変えた食材の歴史」

「フィッシュ&チップス」と「冷凍」

~「冷凍」について、ちょっとだけ考えてみようⅡ~

                                        宮城県水産高等学校 教諭 若松英治


 冷蔵庫も冷凍庫も無かった時代、魚や肉を「生」のまま保存することは難しいことでした。魚や肉に限らず、食品は常温で放置していると、化学反応、酵素の作用、微生物の増殖、水分蒸散によって品質低下が起きます。つまり、食品の品質低下を防ぎながら保存するということは、微生物による食品の腐敗や化学反応による栄養素・色・味・食感の変化から食品を守るということになります。とりわけ魚や貝類は、腐敗するのが速く(「足が速い」といいます)、冷蔵庫も冷凍庫もない時代の庶民は「生のままの新鮮な状態」で魚や貝を食べることはできませんでしたし、できたとしても夏場の氷はとてもとても高価なものでした(日本では「氷室」といって、冬場にできた氷を洞窟や地下室に保管し、夏に取り出して使うことがありましたが、これは長い間、朝廷や将軍家など一部の権力者のものでした)。

  「食品の品質低下を防ぐ」という観点だけで言えば、缶詰などのような密封してから殺菌するという方法と、干物のように乾燥によって水分含量を低下させる方法、塩漬け、砂糖漬けなどの方法がありますが、どれも「加熱などによる変質」が避けられないため、食べる際に「生の状態に復元する」ということは不可能です。

そんな中、いまから約150年前の1855年、オーストラリアのジェームス・ハリソンによって、世界で初めて冷凍機が開発されました。この冷凍機は、「漁船でも利用」できるようになり、魚や貝の腐敗を防ぎ新鮮なままの状態で流通させることができるようになりました。そして、1864年以降、蒸気トロール漁船で利用されはじめた結果、氷詰めで輸送された新鮮なタラが、イギリスで安く出回るようになりました。

 こうして、1860年代からロンドンとランカシャーで、タラのフライとポテトのフライが組み合わされた「フィッシュ&チップス」が売り出されると、瞬く間に爆発的に広まり、1870年代にはイギリスの他の地方でも労働者の間で広まり、新たなイギリスの食文化を生みました。

  1864年の蒸気トロール船における冷凍機の利用から、「漁船と冷凍」は切っても切れない関係になっています。現在では、大西洋やインド洋などで獲れたマグロを遠く離れた日本で、生で食べることができますが、考えてみればこれは、ものスゴイことだと思いませんか?これを可能にする唯一の保存法が「冷凍」だということです。

  冷凍機の発明は、他の分野にも様々な影響を与えることになります。また、冷凍技術も日々進化しています。それらも、また次回紹介したいと思います。

 

(冷凍について)つづく

参考:「ナポリタンはいつからあるの?」、「東京海洋大学 食品冷凍学研究室」

食品冷凍の父

~「冷凍」について、ちょっとだけ考えてみようⅢ~

                                        宮城県水産高等学校 教諭 若松英治


 1855年、オーストラリアのジェームス・ハリソンによって、世界で初めて冷凍機が開発されて以来、漁船や輸送(流通)に大きな影響を与え、イギリスに新たな食文化をもたらしました。そこから50年の時を経た1900年代のアメリカにおいて、あまり日持ちのしないジャム加工用のイチゴを輸送するために冷凍したのが「冷凍食品」の始まりとされています。

 しかし、冷凍食品が始まった当初は、冷凍技術の問題や適切な解凍方法がないことから、食べても歯応えが悪いとか、味が落ちると言われていたようです。食品が凍結する際にできる氷結晶が大きければ大きいほど食品の細胞を損なってしまい、食品が美味しくなくなるのは、損なった部分から、解凍時に水分(ディップ)や血液などの液体成分(ドリップ)、そしてうまみ成分が流出するからです。

 そんな中、後に「食品冷凍の父」と呼ばれる「クラレンス・バーズアイ(他にスポットライトなど、多くの発明がある)」は、1912年から4年間、カナダで毛皮の取引に携わる中で、釣ったばかりの魚やカモ肉を雪に埋めて急速に凍らせることで風味や食感を保つ、エスキモー(イヌイット)の生活の知恵を知って驚きました。また、厳冬の最中に凍らせたキャベツは、寒気が緩む時期に凍らせたキャベツより味がいいことも発見し、味の違いは「凍るスピード」が関係しているのではないかと考えました。

  そもそも食品を冷し続けていくと、-1℃から-5℃の間に食品中の水分が氷結晶となります。この温度帯に滞在する時間が長ければ長いほど氷結晶が大きくなるため、ディップやドリップが流出し、食品の味や食感を損なってしまいます。バーズアイは、食品中の水分が凍結する温度帯を「急速に通過させる」ことで氷結晶を小さく抑え、食品組織の損傷を極力少なくする「急速凍結」を開発しました。

 かくしてバーズアイは、カナダで発見した「エスキモーの知恵」や「凍るスピード」をカギとして、1925年に「急速冷凍」の特許を取得し、アメリカでビジネスを展開しました。そして彼は第1次世界大戦終了後、魚の卸売りを始め、急速冷凍した魚を市場に出し、大成功を収めます。急速冷凍により、食品冷凍で1934年までに毎年約3900万ポンド(現在の約一兆円規模)が動いたといわれています。

 当時、エスキモーの知恵と、バーズアイが経験したような味の違いのことを知っていた人は少なくなかったはずです。つまり、誰もが急速冷凍を想像できたはずです。しかし、急速冷凍は結果的に2つの知恵からヒントを得て、「行動」したバーズアイが発明しました。彼は次のような言葉を残しています。

 

-好奇心がなければ、チャンスは見つけられない。そして、勝負に出なければ、チャンスを掴むことはできないー

 

バーズアイのエピソードは、「成功する人とは、いかに普段から多くのことに反応し、感じ、記憶しているか、そして、課題が見つかったとき、感じたことや記憶していたこと、過去に見聞きしたことや知恵を応用できないか発想し、行動することを大切にしているか」を教えてくれています。

(冷凍はもう少し)つづく
 

参考:おじさんの依存症日記「クラレンス・バーズアイ」 Mind-B「発見したアイデアに第二の生命を吹き込む」

NSデザインミュージアム柏木博「工業製品としてのインスタント食品」 地球の名言「クラレンス・バーズアイ」