先生のコラム

1. 「オリンピック」と「冷凍食品」

投稿日時: 2018/07/11 システム管理者

~「冷凍」について、ちょっとだけ考えてみようⅠ~

宮城県水産高等学校 教諭 若松英治


 1964年10月10日に、東京オリンピックが開催され、それから56年後の2020年に2度目の東京オリンピックが開催されようとしています。「オリンピックと冷凍食品」。一見何の関係もないような両者を結びつけるエピソードをご存じでしょうか?

「オリンピック」と「冷凍食品」

 

 オリンピックの主役はもちもん選手たちに他なりませんが、開催の裏では、実に多くの課題があり、多くの人々の苦労と努力によって支えられています。その課題の一例に、「食材問題」が挙げられます。1964年のオリンピックは世界各地から7000人の選手が集まることになっていましたが、その選手たちに提供する食材調達は、頭を抱える大問題でした。なぜなら、大会期間中に選手村で必要な食材は肉120トン、野菜356トン、魚46トンと膨大な量で、それは東京都民が1日に消費する量の5%に相当しました。もしも、期間中に一気に購入するとなれば食材価格の高騰を引き起こし、庶民の生活に大きな打撃を与えることになります。

 

 開催まであと1年半となった1963年4月。日本を代表するホテルの料理長が集められ、食材問題に対する解決策を模索し始めました。料理長のうちの1人で帝国ホテル料理長だった村上信夫が思い悩むところに、航空機の機内食で使われる冷凍食品技術を研究していた部下、白鳥浩三から「冷凍食材を使いませんか?」と提案されました。なるほど「食材を冷凍して蓄えておけば価格高騰を避けられる」と考えた村上は、早速“日本冷蔵株式会社(現・株式会社ニチレイ)”の協力を取り付け、冷凍食材を使ったメニュー開発に着手し、様々な食材を冷凍して長期保存することが可能になりました。

 しかし、肝心の“味”は思うようになりませんでした。なぜなら、自然解凍させた冷凍食材を使った食事は、食感が失われたり、水っぽくなったりで、とても満足できる水準にはならなかったからです。追い詰められた村上は、ふと、かつて自身が体験したあることを思い出しました。

 太平洋戦争後、ソ連軍に捕まり、零下数十度になる極寒地シベリアで、捕虜としての生活を送っていました。与えられるジャガイモなどの食料は堅く凍り、自然に解けるまで待っても食べられる代物ではありませんでした。そこで村上が試みたのが熱湯による解凍でした。実践してみるとジャガイモの風味は見事によみがえり、捕虜たちを飢えから救ったのです。そこから、「熱湯で解凍すれば、冷凍食材でも美味しく食べられるのではないか?」と、シベリアでの体験を思い出した村上は“熱湯で解凍する”ことに挑戦しました。選手村で提供されるメニューは2000以上。生のままで冷凍するもの、茹でてから冷凍するもの、解凍する際のタイミングなどを、メニューに合わせてひとつひとつ組み立てるといった膨大な作業の末に、冷凍食材を使っても満足できる料理を作ることに成功しました。

  1963年8月23日、冷凍食材の命運を決める「試食会」が開催されました。会場には冷凍食材と新鮮な食材を使った同じ料理を並べて出し、その事実は集まった関係者には伏せられていました。もし、2つの皿の違いに気づかれてしまえば、冷凍食材を使うことは許されません。そんな中、当時のオリンピック担当大臣佐藤栄作が冷凍食材を使ったローストビーフを口に運ぶと、「これは実にうまい!」と高く評価しました。懸命に取り組んできた冷凍食材の使用が認められた瞬間でした。

 翌年、東京オリンピックが開幕、選手村には日本各地から300人を超える料理人が集まって、選手たちに料理を作りました。冷凍食材を使った料理の評判は高く、「あなたの料理のおかげでメダルが取れた」と感謝された料理人もいたそうです。冷凍食品は東京オリンピック以降、評価が高まり、冷解凍の方法と調理法の確立はもちろん、後の日本の冷凍食品の発展に大きな影響を与え、今日の食卓に欠かせない存在となりました。

 冷凍技術の発達は遠洋漁業を現実のものとしました。今日、私たちが魚を手軽に寿司や刺身として「生」で食べられるのは「冷凍」のおかげです。そしてこの技術は農水工商全ての産業に影響を与えています。「冷凍」について、ちょっとだけ見方を変えて生活をしてみませんか?

 

つづく

 参考:東洋経済ONLINE「追い詰められた男の発想が変えた食材の歴史」